闘牛の解説
闘牛の基礎知識
【徳之島闘牛の基礎知識】
最近の格闘技ブームの影響を受けてか、近頃「闘牛」に対する関心が高まり、マスコミ等で取り上げられる機会が非常に増えてきた。しかしながら、「闘牛」というとスペインの「闘牛」のように人と牛が闘うものというイメージがいまだに強く、牛と牛が一対一で闘うものという認識は低い。また、「動物同士を闘わせて云々」という誤解や偏見が多いのも確かである。
牛同士が闘うのは、もともと持つ縄張り意識から生じる本能である。農耕等で使っていた牛がその本能に応じて闘う様子を見たことからから始まったとされるのが、この牛同士が闘う「闘牛」であり、農耕を通して、人間と牛が係わりだした頃から各地で自然発生的に行われていたのではないかと推測する説もある。
現在、全国で「闘牛」が行なわれているのは以下の地域である。岩手県山形村、新潟県山古志村と小千谷市、島根県隠岐島、愛媛県宇和島市と南宇和町、沖縄県中北部市町村と八重山諸島、与那国島、そして徳之島である。
このコーナーでは徳之島の「闘牛」に関する基礎知識をまとめ、より闘牛についてより理解を深めていただければと思う。

〈闘牛はいつから始まったのか?〉
闘牛の歴史は古く、稲作の伝来とともに広まり藩政時代以前から約400年以上の歴史があるといわれている。特に薩摩藩の配下になってからは、統治していた島津藩による「砂糖地獄」に苦しめられた島の農民が、ようやくの思いで税として完納できた収穫の喜びを祝って盛んになったとされ、島民唯一の娯楽であった。それだけに闘牛の飼育に情熱をかたむけ、お披露目の場となる闘牛大会での勝利の暁には、牛はもちろん、勢子(せこ)、観客が一体となって盛り上がり、勝牛を囲んでの手舞い・足舞いでいっそう熱狂する。

〈闘牛大会の運営〉
戦前までは牛主(牛のオーナー)同士が相談し合って、島の行事が行われる際に川原や浜・荒畑で催していた。戦後、徳之島闘牛組合が設立され、組合規約をつくり、入場料を徴収して運営されるようになった。昭和42(1967)年に徳之島町、伊仙町、天城町の三町に闘牛協会が組織され、この三町の協会がまとめられたのが「徳之島闘牛連合会」である。

〈組み合わせはどのように決まる?〉
主催者が双方の牛主と話し合い、期待の好取り組みを練り上げていく。一度の交渉では決まらず、何度か掛け合って条件が合わなければ、新たな相手を探し交渉することになる。番付(ランキング)は相撲に準じた形で組まれ、横綱から前頭までがある。最近は花形・特別・指名特別等の番付も用いられている。それぞれ、過去の実績や稽古(練習試合)によって格付けされる。

〈タイトル〉
徳之島の闘牛におけるタイトルの最高峰は、横綱の中の横綱である「全島一横綱」で、1トンクラスの大型牛が迫力ある激突を繰り広げる。愛牛が横綱になり、「全島一横綱」のタイトルを獲得することを夢見て日々飼育に励む牛主も多い。また現在の闘牛は体重差があるため、横綱に次ぐタイトルとして、950kgクラスを「中量級」、850kg以下を「軽量級」、780kg以下をミニ軽量級として、それぞれタイトル戦が行われている。

〈全島大会〉
初場所(正月)・春場所(5月)・秋場所(10月)の年三回、島の名牛が選抜され「全島大会」と呼ばれる、本場所が行われ島は大いに盛り上がる。徳之島町、伊仙町、天城町の各町の協会が持ち回りで主催する。また、全島大会と前後した日やお盆には、牛主同士が出資して各地の闘牛場で闘牛大会が行われている。

〈闘牛場の場所・アクセス・観戦料〉
現在、徳之島には7ケ所の闘牛場がある。天城町は、松原闘牛場、平土野闘牛場、伊仙町は、伊仙闘牛場、東目手久闘牛場、犬田布闘牛場、徳之島町は、伊藤観光ドーム、亀津闘牛場。草原の中の小さな闘牛場から、5,000人収容の伊藤観光ドームは全天候型まで規模は様々。島外からの観戦の方はバスでも可能だが、空港からタクシーかレンタカーが便利。観戦料は全島一大会が、大人3,000円、小人(中学生以下)1,000円、それ以外の大会は大人2,500円、小人(中学生以下)1,000円。小学生以下は無料となる場合が多い。

〈牛主〉
牛のオーナーのこと。闘牛協会が組織化される以前の闘牛大会の観戦は無料で行われ、飼育や闘牛大会出場の多額の出費は自前であったため、に大変な出費が必要となり、闘牛を飼えるのは富農に限られていた。現在では、出場牛には格付けに応じた出場料が支払われるようになった。牛主は農家、事業主をはじめ、友人同士や同級生が共同で飼育する等さまざまである。

〈牛の種類は?〉
闘牛用の牛は、地元徳之島産をはじめ県内・県外から多数導入され、それらの混血も進んでいる。代表的な産地としては、同じ鹿児島県内では十島村。県外では岩手産(通称南部産と呼ばれる)、隠岐島産、沖縄県の沖縄本島・八重山・与那国産が挙げられる。

〈牛の値段は?〉
値段は牛主との交渉次第であり、あくまでも参考例であるが、現在の相場ではおおむね産後6ヶ月以内で30万円前後。本場所出場可能な牛になると100万円を超えるようになり、通常大型牛になるほど値段も高くなる。タイトル保持牛やそれを狙える実力牛となれば、300万円を超える高値で取引される例が多い。かつての最高額では、全島一横綱だった佐平1号が全国一決定戦出場牛として移籍した際、宇和島の牛主が購入した1,000万円が最高値と思われる。

〈闘牛用の牛は何頭くらい?〉
現在島内にいる闘牛の頭数は、島内はもとより島外とも頻繁にトレードが行われるため正確には把握できていないが、昨年(2004年)の大会回数から500頭前後と推定されている。本場所では大体11組22頭前後が出場し、1月、5月の大会では全島大会に合せ5〜6回以上の大会が開催されるので、120頭前後が出場することになる。現在一年を通して15〜16回の大会が開催されているので、延べ300頭以上の闘牛が出場している。

〈牛の年齢は?〉
闘牛としてデビューするのは早くて3歳半からで、4歳前後が多い。試合を重ねるごとに技も覚えていく。横綱級は7〜9歳が多く、この頃が円熟期である。

〈牛の重量〉
昔の牛は大きくても600〜700kg前後だったが、現在では大型化し、1トンを超える巨大な牛も出て来ている。そのため全島一横綱を決めるタイトル戦は、1トン前後の大型牛同士の激突となっている。

〈飼育法・飼育費用は?〉
通常はサトウキビの葉などの草類と配合飼料を与えている。試合が近づくとそれぞれ独自の配分方法を変えるなどして臨戦体制を整えていく。飼育費用は餌の内容によって異なるし、温暖な徳之島では年中青草が得られるため、草刈リにかかる労力を費用としてどのように換算するか難しい点もあり、年齢や大きさによって餌の量も異なるが、一ヶ月当たり3万円から5万円が実費とみられる。

〈トレーニング方法は?〉
闘牛向きの牛は十頭に一頭、横綱牛は百頭に一頭といわれる。闘牛用の牛は若いときから、足腰を鍛えるための散歩、角突きの練習、鼻綱を付けたままの練習試合を繰り返し、少しずつ技や攻め、勝負どころを教え込む。

〈勢子(せこ)〉
勢子は、牛同士の闘いの最中、牛の側について叱咤激励する者のことで、昔は牛主自身、または一族のなかの若者がしていた。牛主自らがする場合もあるが、身内や自分の牛の気性をよく知っている勢子経験者に依頼する。勢子は牛と一体になって、励まし、攻撃を促し勝利を導くよう努力する。

〈角研ぎ(つのとぎ)〉
牛の二つの角を槍のようにとがらせること。試合の約3週間前に角の粗研ぎをし、前日または当日の朝、やすりやビール瓶の破片で、丁寧に仕上げをする。この角が闘う上で最大の武器となる。

〈試合の前日には?〉
前祝いとして、夕方から親戚、友人、知人がお祝いを持って牛主の家に集まり、翌日の相手牛の得意技と闘い方等の闘牛談義に花が咲き、牛主は愛牛の勝利を期待する。

〈出陣〉
試合当日は、先祖の仏壇に必勝祈願をし、牛の角に酒と塩をかける。集まった一族、友人、知人にも同じ酒と塩を配り出陣の儀式を行う。入場の際は、牛主もしくは勢子が綱を引き、露払いが塩を撒き、ラッパ・太鼓を吹き鳴らし、「ワイド! ワイド!」(わっしょいの意味の方言)の掛け声が闘牛場まで続く。

〈鼻綱〉
闘牛が行われている地域によっては、鼻綱を付けたまま闘う所と、切って闘う所がある。徳之島の闘牛は後者であり、戦闘開始後、頃合を見計らって勢子が外したり、鎌でサッと切る。自由になった牛はいっそう闘志をみなぎらせ、闘いを繰り広げる。

〈勝敗はどのように決まるのか?〉
闘牛の勝敗は、相手が逃げた時点で勝牛が決まる。時には相手を角で突き刺し、勝負ありと判定されることもある。早い勝負で数秒、長引くと数時間闘うこともある。最近は、25〜30分と制限時間を設け、勝敗が決しそうにない場合は、観客の同意を得て引き分けとしている。

〈勝ちどき〉
勝ちが決まった瞬間、一族一統が場内になだれ込み、勝牛に飛び乗り、手舞い、足舞い、指笛で歓喜する。ラッパ、太鼓の音もひときわ高く鳴り響き、勝牛は場内を意気揚々と一周する。


参考文献 :松田幸治著「徳之島の闘牛」南國出版、小林照幸著「闘牛の島」新潮社

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