戸森の線刻画

天城町秋利神川上流の南岸の山中戸森に東と西に約21m隔てて、三畳敷ほどの白いキャンパスを拡げたような二個の巨岩が横たわっている.鉄利器によって数多くの船、矢が掘り込まれている二束位のものを第一線刻画、西位のものを第二線刻画と言っているcこのような岩が三京、馬根、大田布丘山頂母間にもあり、二の外末確認のものもあると言われている〔国内では沖縄、北海道フゴッペ洞穴、国外ではフィラデルフィア、スカンズナビア半島、パルチック海、デンマーク、スエーデン、アムール河流城、韓国にもある。近年琉球大学本村氏、神戸商船大学松本氏、同志社大学の森氏等の調査研究によりこの遺跡の重要性が指摘され、町教育委貝会では梅光大学国分直一氏に調査を依頼したcその結果、予測的所児として、船や矢を岩刻した動機は、新築家屋の操上げの際、悪霊の近寄るのを防ぐために戸ブと矢を組んで棟上げにかかげるのと同意味で呪術的願望達成が動機であろうとしている,刻画に使用した道具は鉄利器で、刻画した人は島人(秋利神川周辺の住人)で、線刻画の刻画の時期は、グスク時代をめぐる時期ではなかったであろうか。一としている。(説明文:天城町役場「文化財のしおり」より引用)