徳之島牛舎訪問記
「鮫島文秀牛舎」徳之島町亀津

「徳之島の名門」 −闘牛界を支え続ける−

 徳之島町亀津の市街地から県道沿いに尾母集落に向かい、県共済住宅入口方向に右折、麦穂嶺ニュータウンを右に見ながら5分程車で走る。通称永木山という亀津の市街地を一望できる高台の一端に着くと、2棟の牛舎が連なっている。
 このさとうきび畑に囲まれ風通しも良く、民家とも思えるような牛舎が鮫島文秀牛舎である。
 「鮫島」といえば、徳之島はもちろん沖縄・宇和島・隠岐・新潟、全国の闘牛ファンでは知らない人はいないと言っていい程、長年闘牛界を沸せる牛を輩出し続けている名門である。
見晴らしの良い高台に2棟の牛舎が並んでいる
 
 鮫島文秀氏の父の頃から闘牛を保有。かつて沖縄の名牛(初代)「ゆかり号」に土をつけた、「鮫島号」は鮫島文秀氏の兄の牛であり、「鮫島」の名を知らしめることになった。
 鮫島牛舎からは、徳之島で活躍する闘牛達を次々と輩出。
 川畑号・平山天一などと激戦を展開し、日本トガイと全国一決定戦を行った初代。
 極真花形と対戦するまで11連勝という記録を作った二代目。
 南郷杯を獲得した三代目。当時の横綱上原鉄兵に挑戦した四代目。
 そして沖縄から徳之島に来て現在6連勝中の鮫島号(沖縄名 たくまトガイ)を含め、鮫島を冠した牛には早々たる面々がずらりと並ぶ。
初代ゆかり号に土をつけた鮫島号
華々しい活躍をした初代鮫島号
南郷杯を獲得した三代鮫島号
 若手牛の育成にも熱心で、昨年デビュー戦を見事な勝利で飾った「大魔人」。連勝ストップ後この牛舎にトレードされ、衛村大王・鮫島パンダとして2連勝し、現在活躍の場を宇和島に移した「元関西エステート号」。本年5月の東目手久大会に於いて、左右からの見事なツキ・カケから速攻を決め、デビュー牛の中でピカ一の評価を受けた「鮫島Jr」(直後に伊仙町崎原の松長男牛舎にトレードされた)がいる。

整然とした牛舎
 亀津市街地を眺めながらに牛舎に入って行く、手前の牛舎には3頭が十分な間隔をおいて繋げるようになっている。牛舎から牛舎の間も広く、牛を外に繋いだり簡単な稽古をさせるには十分な広場がある。
 そのまま奥の牛舎に行くと、手前には控え部屋があり、休憩はもちろんテレビ・ビデオも鑑賞できるようになっていて、歴代の所有牛の写真やポスターが飾られている。

牛舎間のスペースも十分
 この牛舎は後から作られただけあって、3頭以上は置けると思われるスペースに2頭がゆったりと繋がれている。
トータル13勝1敗の鮫島号(元たくまトガイ)  現在これらの牛達の世話をしているのは、鮫島氏の息子さん達である。3人でそれぞれ分担し、草刈り、牛の世話、牛舎の掃除とそれぞれの役割を整然とこなす姿は、声を掛けるのもためらう程だ。
 3人の仕事はそれぞれ異なるため、必ずしも3人揃って面倒を見れるわけでなく、仕事の都合などで2人になったり1人で殆どの世話をしなければならないこともある。
 それでも常に闘牛大会を沸せる牛を出し続けられるのは、3人のチームワークの良さと代々引き継がれてきた愛牛精神の賜物であろう。
 これだけの牛を所有しながらも、スパーリングパートナーも常に所有し、自らの牛を鍛えることに余念がない。
 このように闘牛界を支え続け、闘牛ファンを沸せる牛を輩出し続けながらも未だ手にしたことがない全島一の栄冠。
これだけ牛の世話・トレーニングも徹底しているなら、栄えある優勝旗を手にする日も近いのではないか。そう思える鮫島牛舎である。
ツキ技得意の大魔人
宇和島で活躍中の鮫島パンダ
一気に評価が上がった鮫島Jr
これからの活躍が期待される鮫島牛舎の若牛1号と2号

平成13年11月作成(写真は昨年8月〜本年11月にかけて撮影したものを含む)


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